宮沢賢治でポポン

2020.07.20 Monday

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    初期 散文形 『三人兄弟の医者と北守将軍』 1922年頃制作

     「遠くの遠くの、グレッシャムといふ首府」に、三人兄弟の医者、人間用のホトランカン、馬医サラバアユウ、植物医(葉が黄色に縮れて縮まった桑、トラホームの桃などの治療)ペンクラアネイが住んでゐた。彼らは名医なのだが小学士で、かつある時を境にみないっぺんに大学士になった。

     プランペラポラン将軍が、北の塞外から帰ってきた。彼は百万の兵を率ゐて戦ってゐたが、三十年経って、一万を減らしただけで、かつ、猿をがせのやうなものに寄生されながら、一応の凱旋をする。
     ホトランカン 頭へ風が入り込んだ、体内の火が多過ぎるなどの観点から治療をする。なんか体内の四大元素のバランスがってふのはインドみがあるよな。アーユルヴェーダとか。

     サラバアユウ 馬と会話をする。

     ペンクラアネイ 泣き崩れる桃を治す。寄生ッてふか着生植物はアルコホルとカミソリでなんとかなる。

     プランペラポラン将軍 プランペラ“カ”ラン プランぺラ“ンカ”ラン “ブ(BU)”ランペラポランと名前案があってややこしい上に没。

     韻文形 『三人兄弟の医者と某』 
     韻文形式なだけ

     初期形 『北守将軍と三人兄弟の医者』 『北守将軍の凱旋と三人兄弟の医者』改題

     昔ラユーと言ふ首都に、リンと名づくる旧家があって、三人で医者だった。
    リンパー先生は当たり前の、リンプー先生は馬や羊の、リンポー先生は植物の医師。

     リンポー先生の患者は自分で来ない

     プーランポー将軍が、塞外の砂漠で十万の兵を率ゐて三十年ほど守ってゐたが、一万減らして帰ってきた。

     プーランポーあるいはペーランポ―将軍閣下は朝鮮人参で馬を何とかしつつ、猿をがせのやうなものに寄生され、凱旋のやうなものの前に三人兄弟の医者へかかる。

     リンポー先生のかける巴図の粉で着生植物を何とかしたプーランポー将軍は、兵士へもさうし、三人の医者を天下の名医へ推して引退する。

     発表した奴『北守将軍と三人兄弟の医者』1931年

     昔ラユーと言ふ首都に、リンと名づくる旧家があって、三人で医者だった。
    リンパー先生は当たり前の、リンプー先生は馬や羊の、リンポー先生は植物の医師。がソンバーユ―将軍の治療にあたって国手となる。

      ちくま文庫『全集』八巻225頁 角川文庫『セロ弾きのゴーシュ』所収のはぅ  鞍と騎手が剥がされた時に、馬の尻尾についた着生植物を「バーユ―将軍」が、おりゃっとやるが、新潮文庫版178頁では、最終稿で「するとリンポー先生は」とあるのを根拠に「するとリンプー先生は」(指摘の方が380頁) 
     そりゃ七十で引退しかけのぢぢいだけど軍人がまぁ治った後に、愛馬の尻尾のなんぞを引っこ抜いてもいいけど、原稿のa出版社かb作者の送稿での 誤植と思はれると言ふのが天沢退二郎説。

     

    https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1944_12218.html

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